目黒川にお花見に行ってきました☆

こんばんは

 

仕事終わり。夜から週末にかけてずっと雨ということで、僕が所属するチームでお花見をしようということになった。個別で。各自健闘を祈るとのこと。あ、靖国神社いいですねえ。しゃくじいこうえん?杉並区ですか?あ練馬。私は三軒茶屋なので目黒川にします。

 

一旦自宅に帰って着替え、少し重い体を引きずって20時頃家を出た。池尻大橋で降りて階段を上がり、246を渋谷方向に歩くとすぐに桜が目に飛び込んできた。右折して川沿いに歩く。桜はもう見た。花見完了。一人だし、もう帰っちゃってもよいのだけれど、ここで踵を返す気にはなれなかった。もう少し歩いて、桜が僕に何を与えるか、それをみてみよう。

 

その考えが気に入って、そのまま中目黒方向にゆっくり歩を進めると、そこかしこで写真を撮っている人が目に付いた。その写真は一体何を与えてくれるんだろう。後にその写真を何秒見直すのか。僕は違うんだ。今この瞬間に、桜が生み出す何かを探している。スマホ越しでは見付からない何かを。ゴミのような優越感を感じながら暗がりを行く。

 

この辺りは案外人が少なかった。これならデートに最適だったな。一緒に花見しながら歩きたかったなあと、心がチクリと痛んだ。この痛みは、桜そのものではなく、お花見デートという行為から、もしくはそこら中にいるカップルという記号から想起されたものだろう。


これ程満開の桜の中にいるというのに、桜だけを見ることは難しかった。すれ違う人々、徐行する車、灰色の建物、それよりも少しだけ濃い色の空、吹き付ける春の風やイヤホンを突き抜ける川のせせらぎ。それら全てが僕の周りでひしめきあっていた。

 

花見に来たことで、桜を見ることによって僕の中に生じる何かを待っていたが、僕の思考は千々に乱れていた。乞田川沿いの奇跡のような花吹雪、ネイルサロンの手掛かり、中目黒に住んでいた元彼女との別れ際の会話等が、僕の頭の中をかき混ぜた。頭上に並ぶ薄汚れたぼんぼりは様々な情報を提示している。目黒川桜祭りっていうんだこのイベント。中華げんこつとアジアンタム法律事務所のぼんぼりは二つあるな。あ、東京土山人は三つだ。儲かってんだなあ。ぼんぼりの中にローマ字を見付けたら後で絶対に検索してしまうな。そんな気持ち悪いことは絶対にしたくないと思ったので、ピンクの光から意識的に目をそらして、ゆっくり歩いた。

 

ふと、一本の桜の木に、一体何枚の花びらが付いているのだろう、と思った。この数分で、一体何億枚の花びらを目にしたのか。その花びらを、僕は消費したのかな。消費したとして、それはどんなものに代謝されるのだろう。

 

対岸に少し開けた場所があって、ひときわ大きな桜の木が目に入った。足を止めて眺める。眼前に広がる白。徐々に視界が花に占領されていく。このまま僕が桜に埋め尽くされたら、意識は僕の外側と内側のどちらにつながるのだろうか。その時アプリの通知が来たので、駐車場の暗がりに下がってタバコを吸いながらスマホを操作した。二本吸った。僕はそのどちらでもない所にどっぷりと浸かっている。

 

店の中にも外にも酔客がおり、自転車に乗った少女が誰かに可愛い笑顔を向け、大いに主張する張り出した胸が目に突き刺さる。パーソナルスペースを圧し潰すように身を寄せ合う男女、繋いだ手の温もりまで感じ取れそうな家族。もうすぐ中目黒だ。


山手通りを越えると、桜の密度は変わらないのに、人も店も倍になった。一箇所だけ桜が綺麗にライトアップされていて、皆入れ代わり立ち代わり写真を撮っている。綺麗だと思った。スマホをかざしたい欲求を感じたけれど、それはしなかった。想起の仕方はどんなものでも浮かぶ情景は同じはずなのに、その写真を見て今日のことを思い出すのは嫌だった。もっと違う形にしたかった。


歩けば歩く程、桜は僕の視界の中心から外れていった。飽きていた。でもとりあえず行けるところまで歩こう。帰りの足取りは早くなりそうだった。


街灯やヘッドライトによってまだらに浮かび上がる人々の顔。様々な顔が一様に笑顔を浮かべていた。それを、又吉が火花で書いた、『沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら』というような文学的表現で表すことは僕にはできない。読書の絶対量が足りないのだ。浮かんでは消えていく言葉足らずの文字をスマホのメモ帳に入力する。然し乍ら、この考えはどこにも辿り着かず、今のところどんな形も結んではいない。この思考の垂れ流しに意味はあるのか。言葉が生まれた以上、生産性はある。強いていうなら、人間が、僕が、思考を生み出す存在だということが分かった。この思考そのものにではなく、思考を生み出す人間に意味、力、魂がある。そもそも何か意味のあることをしようとして歩き出したわけではない。従ってこの行為に意味などあるはずはなく、そこに意味を見いだそうとすることこそ無意味だった。

 

生み出されるものには二種類ある。目的のあるものと無いもの。目的があって創り出されたものには全て、当たり前だが意味がある。では人は?望まれて生まれてきた人、出来ちゃった人。セックスが生殖するための行為である以上、人間には全員意味があるのか。快感のためだけ、というように、今やセックスには生殖以外の様々な面があるが、そのことを理由として、人間は全員意味を持つという考えを否定することは少し違うような気がする。生まれ、殖える、ということ自体に、生存するという意味はある。だが、その意味には、一体何の価値があるのか。そもそも意味とは、価値とは何か。行為に有意、無駄、という判定を下すことに拘泥することは無くなったと思っていたけれど、やはり少し囚われている。僕は無意味を、無価値を、無駄を恐れているのか。いや、正確に言うと、僕は、生が、無意味なものであったとわかることを恐れているのではなく、その先に意味=価値、魂を持てなくなることを恐れている。それが死への恐怖だ。もはや桜など一つも見ていない。この花見に果たして意味はあったのか。何かが生まれることを期待していた。そして思考が生まれた。女の子はみんな綺麗だ。腰も肩も痛い。もう十分だ。帰ろう。

白帯

こんばんは

風邪をひいたようだ。なんだかぼんやりする。椅子の背もたれに冷たさを感じ、体温の高さに少し驚いた。鼻水が出るし、咳やくしゃみもあって難儀している。明日が休みで良かった。このところ体調を崩したことが無かったので油断していたのだけれど、一旦こんな状況になってしまうと、受けるダメージの大きさや、この先何日かつぶれてしまうことを想像して怯んでしまう。やはり寄る年波は恐ろしい。

 

それでも三十路を迎えた頃に比べると、大分自己管理が上手くなった。あの頃は月一で風邪を患うような状況で、回復力も目に見えて衰えていたので、相当落ち込んだ。その時期と比較して体力が増強したわけではなく、むしろ減退しているけれど、食生活や運動習慣の改善が功を奏しているようだ。パワーや根性ではなく、戦略と経験で戦うようになったのだ。僕らはそうやって生きていくんだよ。

 

以前、カナダに留学していた友人からメールをもらったことがある。柔道の大会に出場したところ、年下の対戦相手の膂力に歯が立たず負けてしまい、やはり若さには勝てないのだと嘆く内容だった。その返信で、こんなことを書いた。

 

それに何も悲しく思うことはないよ。力とスタミナではなく、冷静さと知恵で戦うようになったということやろ。俺らはこれからそうやっていくんやよ。

その高校生に負けたということもさ。「若さ」が全てにおいて優れているということではなくて、単に勝つ時もあれば負ける時もあるというだけのことではないんかな。俺はそう思うよ。
その試合を見てないから、俺が思ってることはもしかしたら正しくないかも知れんが。まぁ変わってないようでも、人間は確実に変わっていて、それを受け入れながら上手くやっていくんやろうと思う。
なんやエラそうに言うてしまったな。

 

実際には確か20代半ばの頃で、今から考えると相当ジジイやなって内容。けれど、友達の少ない僕にとって、彼がそんなメールをくれたことが嬉しくて、随分考えて送ったんだ。

 

今の僕が、もし柔道の試合に出たとしたら、問答無用でコテンパンに熨されるな。え、何で来たのって会場もザワザワする。僕もそう思うだろう。それで家に帰って、誰かに今日あったことを愚痴るんだ。そんな友達いないけれど。それでもし、こんな風に慰めてもらったとしたら、きっと、とても、温かい気持ちになるだろう。

だから、今20代半ばの僕に何かしてやれるとしたら、グッジョブって言ってあげよう。大丈夫。少なくとも、僕には伝わったよ。

たとえ今がいつであろうと

こんばんは 

 

子供の頃は色々な約束事があった。儀式のようなもので、特に寝る前のものが多かった。 

 

必ず氷を二つ頬張ってから寝室へ向かう。隣の部屋で調べものをしている父にお休みと三回言う。これは三回お休みと返してもらわなければいけないのだ。だから三回目を聞く迄何度でも呼び掛けていた。それから眠りに就く前にお祈りをする。自分と家族に不幸が訪れないように、どうか護って下さいと祈っていた。 

 

けれど洋の東西を問わず大勢の神様にお願いをしていたので、随分欲張りな日本人だと思われていただろう。まぁ大方幸せにやって来れたので、どうやら祈りは聞き入れられたようだ。無邪気さが受けたのだろうか。 

 

バカだなぁ。 

 

とにかく嫌なガキだった。親もよく我慢してくれたものだ。放り出しはしなかった。たまに締め出されたりはしていたけれど。 

 

小ずるくて生意気、我儘で病弱。嘘つきだし文句ばかり言っていた。こんな子供、自分に出来てしまったらと思うとゾッとする。けれど一緒にいてくれた。 

 

親を捨てて東京に出てきた今でも、留守電やメールで居場所を与えてくれる。一年に一度、正月三が日にしか帰らずに、その三日間でさえ遊び歩いている親不孝者に松阪牛をたらふく食べさせてくれる。 

 

兄がいて。仲なんて最悪で、久々に実家で会っても口すら聞かないことだってある。親戚まわりもせずに惰眠を貪る僕を、兄は我儘王子と呼んでいる。けれど僕の生涯で聞いた中の、一番優しい声は、彼が僕に掛けてくれたものだった。

 

母に先日電話した。泣いていた。近所の遊歩道をめちゃくちゃに歩きながら、ずっと聞いていた。 

 

父は、僕が幼い頃、毎晩僕が寝る前に本を読んで聞かせてくれた。登場人物ごとに台詞の読み方を変えてくれたりして、演技は下手なんだけれど、面白かったなぁ。枕元に感じる確かな存在。聞こえてくる少し擦れた声。暖かな寝床。いつも知らない内に眠っていた。僕は本を読むのが好きなのだけれど、きっとその頃の記憶がそうさせているのだ。 

 

家族は僕に思い出と影響を与えてくれる。 

 

僕が欲しい言葉を、彼らは時々言ってくれる。僕がこうあって欲しいと思う存在、彼らはそういうものでいてくれる。僕がいることを嬉しいと思ってくれる。疑わずにいさせてくれる。 

 

自分の存在が世の中に影響を与えるようなものでないことは知っている。けれど、僕が生きていることを家族が良しとしてくれる。そして恐らくは、何らかの、少しだけでも、僕は家族に善い影響を与えている。そしてそれを、それも、僕は知っている。